みなさんおはようございます。
ジメジメした梅雨空が続いています。
けさも蒸し暑いです。
井上幸一氏のメルマガを引用。
私が会社経営でモデルとしているのは【徳川家康】
昨今、大河ドラマで注目を集める徳川家康は「鳴くまで待とうホトトギス」
家康は目立たず、質素・倹約の人として知られています。
関ヶ原の戦いで天下を取った後も足袋を履かず、そのせいであかぎれになるなど・・・
「倹約家」「ケチ」として有名ですが、それは幼少期の苦労と信長・秀吉からの反面教師として学んだのだと思います。
人材登用では家康は他家の家臣が好調に活躍しているときには引き抜かず、主君の大名家が滅んだり没落したりしたときに大量に登用しています。
桶狭間の戦いで今川家の勢いが衰えたときに、同家の家臣を積極的に登用し、武田家、織田家など没落した大名家の家臣も同様に登用しています。
家康の経済思想は人材においても「高いときは買わない」「安いときに買う」と単純でした。
そして「出すべきとき」には出し、機をうかがうのも特徴的です。
豊臣秀吉の重臣の一人、細川忠興が秀吉に追放された時、秀吉から「黄金100枚の返済」を求められました。
これに対し、家康は気前よく黄金100枚を貸しています。
恩義を感じた忠興が家康の内意を汲んで「石田三成襲撃事件」をおこし、三成が関ヶ原へ挙兵する直接的な原因となっています。
「ここが転機である」とみると惜しまずに出しています。
また関ヶ原の戦いで、西軍が総崩れになった大きな契機、小早川秀秋の家康方への寝返りには家康はこの戦の前に秀秋にも恩を売っていました。
秀吉は、跡継ぎの秀頼が生まれると秀秋の所領を奪い、越前北ノ庄に転封(福井県に所領を変えて)しています。
家康は関ヶ原の直前に、豊臣直轄地となっていた筑前・筑後を秀秋に取り戻させていました。
秀秋は旧領地を取り戻してくれた家康への恩義を強く感じています。
じっくりと準備して機をうかがい、忍耐強く待つ・・・
「未来に備えて好機を待つ」家康の天下統一の基本的な考えでした。
こうして天下人となった家康が征夷大将軍の職に就いていたのはわずか2年です。
すぐに三男の秀忠に将軍職を譲っています。
信長と嫡男の信忠がほぼ同時に明智光秀に討たれた後の織田家や秀吉なき後の豊臣家を身近に見て学んでいました。
権威が大きいうちに秀忠に権力を少しずつ譲っていき、スムーズな政権交代を準備し、直系男子が途絶えることを危惧し、家康の子を始祖とする尾張徳川、紀伊徳川、水戸徳川の御三家として将軍となる後継ぎを確実に残す後継システムをつくりあげました。
家康は忍耐強く、晩年になってチャンスを引き寄せ、かつ出費を抑えながら財力を蓄えていきました。
じっくり布石を打ちながらチャンスを待ち、高いときには買わず安いときに買い、盤石な体制を整え後継者へと確実に財産を引き継ぐ・・・。
家康の思考と行動=考動力は私の「経営手法のお手本」となっています。
それでは今日も心に太陽を持って、素敵な一日をお過ごしください(^_-)-