清水みなとの名物はお茶の香りと男伊達。

 

幕末の明治維新にわたり東海道はもとよりその暴れん坊ぶりを全国にその名をととどろかせた 清水一家の世紀の大親分 清水の次郎長こと山本長五郎。

子分には、大政、小政、遠州森の石松、大瀬の半五郎、増川の仙右衛門、法印大五郎、小松村の七五郎、桶屋の鬼吉、関東の綱五郎、相撲の常吉などなど

28人衆が東海道一の清水の次郎長一家。

 

浪曲に唄われた 「食いねぇ 食いねぇ 寿司食いねぇ」といえばご存知「次郎長三国志」

 

四国の金毘羅さまに次郎長の刀と奉納金を納めた 遠州森の石松が その帰り道に大阪から京都へ向かう舟の中でお江戸は神田の生まれという江戸っ子が

「清水港に山本長五郎 通称 清水の次郎長が街道一の親分よ!」と言う。

このシーンは、映画やテレビ番組やコマーシャルで繰り返し取り上げているのはご存知でしょう。

森の石松の人柄が浮かびます。

 

自分の親分をほめられ嬉しくなった石松は、その江戸っ子に「もっとこっちへ寄んねぇ」と声をかける。

石松が、酒をすすめ「呑みねぇ 呑みねぇ 江戸っ子だってねぇ」

江戸っ子は「オゥ 神田の生まれよ」

石松「そうだってねぇ 次郎長にはいい子分がいるかい」

江戸っ子「いるどころの話じゃねーよ。親分、兄貴と呼ばれるようなのが28人。これをまとめて清水の二十八人衆。この中で偉いのは五、六人かねぇ」

ますます嬉しくなった石松は、「五、六人とは一体 誰なんでぇ」と聞く。

江戸っ子「清水一家で一番強いと言えば、いちに大政、二に小政、三には大瀬の半五郎、四に増川の仙右衛門・・・」と続きなかなか石松の名前が出てこない。

いい加減あきれてきた石松が「おめぇさん、あんまり詳しくねぇな。次郎長の子分で肝心なのを一人忘れてやしませんか」とせまる。

すると江戸っ子が、「客人すまねぇ 一番つえーのを忘れてた! 森の石松ってんだい こいつはつえーや!」

すると石松が「呑みねぇ 呑みねぇ 寿司食いねぇ もっとこっちに寄んねぇ 江戸っ子だってねぇ」

 

という一説。舟の中での微笑ましい光景が目に浮かんでくるようです(^O^)

唄にもある”旅姿三人男”の石松の歌詞は 「腕と度胸じゃ負けないが 人情からめばついほろり 見えぬ片眼に出る涙 森の石松よい男」

義理と人情の厚さを感じます(^O^)

次郎長や石松も眺めていた 日本一の山。