みなさんおはようございます(^O^)
この家の方々には代々大変お世話になっております。
昭和46年に親父が設計施工したRC造の家。
当時茨城県議会議長も歴任され勲章も。
地元の名士として名高いお家柄。
建物も文化財級。
その先生との出逢いは親父が建築士の免許を取得した昭和36年頃。
当時はこのあたりでは建築士や建設業をしてるところはありませんでした。
親父が近くの農協の荷さばき場の設計施工を農協から依頼された時のこと。
今ではもう50年以上も昔なので時効ですが道路の上に屋根をつくりたいと・・・
農協の人しか通らない道路ですがそこを荷さばき場にしたいと。
既存の建物と建物の間を通る道路に屋根をかけたいと。
基礎、柱、梁、屋根・・・・・立派な建築物です。
さすがに親父もそれは出来ませんと。
でも農協の組合の人たちが当時県会議長をされていたこの先生に難題を依頼。
すると農協関係者や親父など大勢の前で先生はさっそく県に電話を入れ「頼むぞ」って県に。
その先生と県の職員が電話で話すと「わかりました何とかします」って。
また電話を親父に代わると県の職員は「絶対ダメだっ!」って。
若かった親父はかなり困ってしまったようです。
結局、その荷さばき場は親父が設計施工することなってしまいました。
今ではこんなことあり得ない話ですが。
今はその場所はもう更地になっています。
そして親父はこの先生にその後も可愛がられ、たくさんの仕事をお世話に。
そして先生が県会議員を引退され先生の住まいを造ることに。
親父はその先生とあちこちの建物を1年間、見て歩きました。
遠くまで見に行ったそうです。
そして設計が始まりました。
私はドラフターに向かって大きな図面を描いている親父の姿を今でも覚えています。
設計する際に先生が親父に条件を出したそうです。
「建物は風通しがいいように床を高く、それと人が歩く時にぶつかるような狭い廊下はダメ、それともう一つは金はいくらかかってもいい!」って。
カッコいい条件ですよね。
そしていよいよ着工し、竣工までに1年。
親父が設計したこの建物は斬新で超モダンで品がって風格がある。
外部も内部も今でも現代の建築に引けを取らない建物に。
竣工式はあまりの人数の多さで古河の料亭を3か所貸し切って盛大に開催したそうです。
親父は竣工式の挨拶の中で先生に言われた条件の話をしたそうです。
大勢の人たちの前での挨拶は拍手喝采で歓声が沸いたと。
私もこの先生とお逢いするときはいつも緊張していたことを想い出します。
そして今もこの家のご家族の皆様に私がお世話になれることに改めて感謝いたします。
それでは今日も心に太陽をもって、素敵な一日をお過ごし下さい(^O^)